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【モンスト】ランク250に到達したからまとめておくよ

●ランクが250に到達しました! モンストが配信されてしばらくしてからアカウントを作成したはいいものの、当時パズドラ中心に遊んでいたこともあり速攻で飽きてアカウントを消したのが早4年前ですか。 その後、誘われてまた再度アカウントを作成したのが今のアカウントになるのですが、通算ログイン日数を見ると940日なのでログイン自体は2年半くらいしているようです。 アカウントを作成したのがいつだったか正確には覚えていないのですが、途中ログインすらしていなかった時があるので少なくとも3年以上前に作ったアカウントなのは確かですね。 そう考えると、3年以上経過してやっとランク250かよって話ですが、ログイン勢(ですらなかった時がある)なのでむしろよくここまでランク上がったなぁと思っているくらいです 笑 とはいえ、連続ログイン日数が496日ですから1年4カ月くらいはログインを続けているのでそれなりの期間少しだけでもやっていたことを考えればこの程度は到達して当たり前なのかもしれませんね。 ●モチベーションの変遷 最初に書いた通り、モンスト提供開始初年度頃はパズドラを楽しく遊んでいたことからモンストの方はまったくと言っていいほどやる気なかったですね。 運極を作ることをしないのはもちろんのこと、当時最初にやるべき作業であったレチリ90を作るのすらめんどくさくてやらなかったですからね。 そんな状況の中、ほんの一瞬だけモンストをやっていた時期があるんですが、それはガチャでいいキャラ引けたからというわかりやすい理由から。 ⬛まさかのルシファー2体引き! ログインでもらえるオーブを貯めてはたまにガチャを引くというのをやっていたのですが、たまたま超獣神祭を引いた時にルシファーを2体引いたんですよ。 当時はルシファー全盛期…だったらしいのもあって、知り合いがめちゃくちゃ羨ましがったことから「いいキャラ引いたようだ」とモチベーション上がったのよね。 たいしてキャラを持っていなかったのもあって、ギミック無視でとにかくルシファー2体連れていく。 ルシファー2体でゴリ押しできるダンジョンでは勝てるけど、明らかに不適正なダンジョンでは無残に敗れ去る。 勝てたらラッキー、負けても悔しくないって感じでやっていたのでとにかくルシファー時代が長かった。 そ...

先進国である以上人権大事にしてますPRが必要で本来の犯罪処罰/更生の概念から離れてませんか?

闇サイト殺人事件の遺族 死刑反対派に「軽々しく口に出して欲しくない」 - ライブドアニュース

闇サイト殺人事件の遺族である母親が犯罪被害者支援フォーラムで語った内容が上記サイトでまとめられているのを読んだのだけれど、死刑制度云々は大学の頃に少し考えたことがあって、結局グレーな感じで終わったのを思い出した。

加害者の更生という未来の不確定なことを前提にして裁くのではなく、まじめに生きている人を守ることを優先して裁く司法であってほしいと思います。
引用したこの思いこそが犯罪被害者ならびに犯罪被害者遺族の強い思いであることは間違いなくて、私自身もこの点を最優先すべきだと考えていました。

もちろん、先進国という立場で「野蛮ではないよ」PRをしなければならない点を考慮すると「更生可能性」を詰むのではなく、その可能性を実際に結実させていく方に舵を切るのはわかりますけど、「目には目を歯には歯を」のように、やったことをそのまま受けさせる方法で罰を受けさせること以外、適切な処罰を人間ができるとは思えません。

更生/教育を行うための手間や時間を考えると、犯罪者すべてを更生することは不可能なのが明確である以上、「更生可能性」を結実するための努力は誰が責任を持って、どのように実行するのかが犯罪者個人単位になると曖昧なまま終わっているケースも多いのではないでしょうかね。

そもそも、被害者が受けた苦痛や被害と同等、あるいはそれ以上を別の形(死刑や懲役刑)で代替する方法により処罰するのが現在の手段になりますけど、どの程度が適切な処罰になるのかなんて誰もわからないですし。

だからこそ過去の判例をベースにすることで責任逃れしているに過ぎない面があることもあって、
裁判官の「被害者が1人である本件では死刑選択がやむを得ないと言えるほど悪質な要素があったとはいえない」。弁護人の「被害者が1人で死刑になった事件に比べると、この事件はそれほどひどい事件ではない」など、司法の世界ではごくごく当たり前の文言がどれほど私の心を傷つけたことでしょうか。
上記のような発言につながるわけですからね。

普段、教育の大事さやできる限り人を見捨てることをしないという考えで行動している身としては死刑によって「更生可能性」を断つことに反対する立場に立つべきなのだとは思いますけど、「更生可能性」を結実させるためには多大な労力が必要になる中で、きちんと犯罪者と寄り添って生きていける人がいない以上は結実することなんてないんじゃないのかな?という思いのほうが強いんですよね。

大学の時にグレーな感じで終わったというのもまさにその部分でした。

私自身の刑法および処罰に対する考えが以下のようなものだったからです。

「本来は、目には目を歯には歯をの精神で実行した犯罪と同じ罰を与えるのが正当。ただし、近代国家あるいは福祉国家を標榜している以上ハンムラビ法典のような方法ではなく犯罪者の更生を期待してその芽を詰むことは避けるべき、という建前があるから仕方なく懲役刑を課している」

要は着飾るために「人権大事にしてます」PRが必要になってるから残虐な刑罰はダメよってことですね。

もっと深いところで考え抜かれているとは思いますけど、結局のところ近代国家、福祉国家、先進国という点をPRしなければならないという点が強調されている世の中なので「死刑廃止論」もその流れで出てきているものなのだと思われます。

「死刑廃止論」を唱える人にとって「更生可能性」を断つことは野蛮な行為であって、希望を奪うのは悪になるのでしょうけど、その可能性を結実させるためのコストを誰がどの程度負担していくのかはそろそろきちんと考えた方がいいと思いますね。

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